「長浜大橋 2008頃撮影」
1958年3月 愛媛県喜多郡長浜町生まれ
1976年3月 愛媛県立大洲高校卒業
1980年3月 広島工業大学建築学科卒業
1980年4月 株式会社 穴吹工務店入社 広島営業所配属、その後広島支店
1981年5月~ 84年3月 山口県徳山(現周南)市新築マンション工事現場着任
徳山市、萩市においては、勤住協マンションの新築現場担当。下関市においては、勤住協マンション改修現場担当。当時、アンアン、ノンノで紹介された、萩・津和野の多くの若い女性、カップルの観光客と夏みかんの木がある武家屋敷が多く存在していた萩は特に思い出深い。
1984年5月~ 87年10月 広島市再着任。
他社デベロッパー物件新築工事で初めて現場所長で着任。清水建設・穴吹工務店JVで銀行新築工事現場配属。大手の建設会社で初めてのジャンルの新築工事は、目からうろこの毎日だったことを思い出す。
1987年11月~ 89年2月 サーパス自社大型物件着任
広島新交通システム開通に先駆け、サーパスタウン大町280戸の5棟連続建てでは、工事躯体担当。多分この時期は、頭も体もフル活動だった気がする。世の中はバブル期に突入していたがあまり実感はなかった。
1989年2月~ 92年7月 福山着任。
現場所長でサーパス物件、アルファ物件を地元建設会社とのJV。福山は、松山ににて温暖で住みやすい街であったが平成3年台風19号の襲来が忘れられない。強風から仮設足場を守るために外部シートをはぐっていたが間に合わずあるがままで見守るしかなかった。朝の2時ごろ落ち着いたが、多くの住宅の屋根瓦は飛び、プレハブ事務所の屋根はとんだ。 停電と塩害?から電話がつながらなかったが黒電話はなぜか受話器を逆さにすると話ができた記憶がある。
1992年7月~ 93年3月 広島再着任。
バブル破綻後、新築工事はなくなり、アフターメンテナンス対応。後になって考えるとこの期間は、いままでしてきたことを見直すいい機会であったように思う。
1993年5月~ 95年3月 PC物件に着任
宇品港からほど近くで3社穴吹・西松・大起JVにて大型物件コープ 宇品シーサイドマンション新築工事担当。この物件で、私自身は初めてPC工法に出会う。この工法は、事前に工場で製品を作り現場で組み上げてゆくもの。内装も壁体を工場で作って現場納入取り付けするパネル工法。計画策定が面白く、内外ともこれからの時代にあった工法だと私自身確信していたがなぜか、この物件以後、会社はこの工法の採用をやめてしまった。 1995年1月 阪神大震災発生。
1995年4月~2000年3月 石川県金沢市 金沢支店(新規店舗)着任。
初めての北陸の雪と寒さ対策に直面。私が現場で担当した最後の現場となったサーパス金沢北町の物件以来、金沢、富山、福井と施工エリアが広がる。感心したのは、雨が降ろうが雪が降ろうが北陸の職人さんは、絶対休まない。雨でコンクリート工事を延期したときは、協力会社の社長からこんな雨くらいで休んだら一体いつ働くんやと猛烈に抗議された記憶が思い出される。
この時期、金沢のみならず富山、福井と工事監理を掛け持ちしていたので北陸ではお世話になったかたもたくさんおられる。昨年一月の能登半島地震の被災地域地域の方もたくさんいたが25年も経った今となっては連絡先もままならず無事でおられることを望まずにはいられない。
2000年4月~02年3月 神戸 明石営業所所長で配属 デベロッパーの仕事他、全般担当。
赴任する前まで神戸は都会的に洗練された人が多いと思っていたが案外庶民派でむしろ下町風情が妙にしっくりくる街であった(当時住んでいたところが)。この時期世の中は、自然素材、ロハスという声が高まってきた。 大阪でMOKスクールを開講していたので仕事が終わってから続けて受講するうちに木造に興味を抱くようになった。
2002年4月~04年3月 高松勤務。関連会社配属
新人研修以来、高松で働いたのはこの2年のみ。この時期主に、全国のマンションモデルルームを担当させてたいただいた。出張が多く、東京から以西を飛び回った。46歳の誕生日に退社
ティタイム
在職中は、会社から資格取得の啓発もあり建築士の資格を取ろうとしたが、なかなか仕事がさばききれず土日も出ていた関係でなかなか資格取得できずにいた。結婚後、福山着任中に毎日仕事後の建築士資格所得夜間学校への送り迎えをしてくれた家内の献身もあり、幾度の失敗(高い授業料を支払い)を経て一級建築士、一級施工管理技士の資格を32歳の時、取得できた。67才になり今も仕事が続けられているのは、もちろん資格所得も大事でああったが社会人一年生から24年間お世話になった穴吹工務店、いろんな事で支えてもらった同僚や先輩のおかげと感謝している。
2004年4月~09年3月(自営当初)
松山市に転居。ポリテクセンター松山(リフォーム課)入所、、ボランティアで聖アンデレ教会(松山市 南持田町)耐震改修従事。翌年一月、藤本博之住宅考房 一級建築士事務所開設。
2009年~2010年
住宅、事務所、倉庫等の新築確認申請業務のかたわら自邸設計開始。並行して福山の学生時代の友人から大街道の某パチンコ店の改修工事の手伝いを頼まれる。昼夜なかなか忙しかった半面、面白い仕事だった。このころから仕事量も増え何とか食べて行けるようになった。明けて、2010年2月 松山市新石手に、伝統工法により自邸兼事務所を新築(土壁ネットワーク入会)後移転。
2011年~2015年
瀬戸内気候型住宅フォーラム入会 瀬戸内圏の他県の方との交流。設立10年。住宅、マンション改修、工場、店舗、事務所等 設計監督監理業務開始と言えば聞こえはいいが、頼まれることを断らすにやった時期。
2016年~2021年
建物耐震診断(愛媛県耐震診断補助)業務開始、5年ほど続けたものの2021年撤退。その後、マンション建物劣化調査、修繕調査業務開始 。2020年1月 設立15年。そのほかに、省エネ届作成業務開始。
2021年~
建築調査、計画、設計、建築確認申請および省エネ計画適判申請を含む総合的な業務継続中
※文中(JV)とあるのは、共同企業体の略で、他社との合同施工を示す